しーまブログ 学術・研究瀬戸内町 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2014年07月14日

油井シマ(集落)めぐり

瀬戸内町のシマ(集落)をめぐる
聞き取り調査。

油井(ユイ)集落の報告です。

シマグチでの呼び方も、ユイ

瀬戸内町の中心部・古仁屋から西のエリア、
車で県道79号線を篠川・宇検方面へ約15分ほど。

集落の名前を冠した油井岳の麓、
正面沖合には、油井小島もあります。


▲県道沿いの油井の浮き桟橋と、左前方に見えるのが油井小島


油井集落の人口は、60人・37世帯。
(瀬戸内町町民課2014年6月末現在資料より)


瀬戸内町では少なくなった
水田が残っている集落です。

その稲作の恵みに感謝し、
豊年を祈願する民俗芸能
旧暦8月15日の「油井の豊年踊り」は、
県の無形民俗文化財に指定されています。


 * 

今回の聞き取り調査には、
5名の方々に集まっていただきました。

みなさんにおうかがいしたのは、
・ 小字の方言名、そのほか川や浜、岬の名前など
・ グンギンや墓、油井岳信仰
・ 油井の豊年踊りや他の行事
・ 油井にあった会社・産業
などについて。



▲左より区長の内田百一さん(昭和19年生まれ・満70歳)、池田三治さん(昭和23年生まれ・満66歳)



油井集落は、浮き桟橋のある岬「ハトンサキ」を境に、
油井地区と須佐礼(スサレ)地区に分かれています。


ハトンサキを登ると、
目の前は海、
両地区を見渡せることができる
とても眺めのいい場所です。




▲ハトンサキ


ハトンサキの頂上には「昭和天皇行幸記念碑」も。





須佐礼は、シマグチでは「サーレ」。


▲ハトンサキ中腹より須佐礼方面を望む


「須佐礼」のバス停や、「須佐礼」の名前の看板はありますが、
住所の名称や小字としての「須佐礼」の名は、
実はありません。

大昔は、油井だけに人が住んでいて、
耕作地として開墾し
須佐礼に行っているうちに人が住み始めたようだとのこと。



▲ハトンサキ中腹より油井方面を望む


長田さんのお父さん(大正13年生まれ)の時代から、
油井と須佐礼は一緒に行事などをやっていたと聞いているそうです。



▲左より、長田博幸さん(昭和37年生まれ・満52歳)、重田芳文さん(昭和24年生まれ・満65歳)、
岡野弘明さん(昭和28年生まれ・満61歳)





集落の公民館があり、
聖域でもある油井のミャー(広場)。



大きなデイゴとガジュマルの下には、
集落の守り神である4本の自然石
「イビガナシ(イベガナシ)」が祀られています。

旧暦8月15日の民俗芸能
「油井の豊年踊り」は
このイビガナシに奉納する行事。
目の前の、土俵を中心に執り行なわれます。


※「油井の豊年踊り」についてはこちらを参照ください。
「鹿児島県 かごしま地域伝統芸能ミュージアム」

「あまみヒギャジマンプロジェクト2 油井集落 油井の豊年祭」 

 
 
 

▲4本祀られているのは、瀬戸内町の奄美大島側では珍しい


イビガナシには、
油井の豊年踊りで最初に炊いた力飯やお酒などをお供え。


またイビガナシの横には、
「チカライシ」が2つあります。






公民館の裏手には
墓地「トゥールバカ」があり、
ここに「ウブシロシンニョ」と呼ばれる豪傑が祀られています。
(ヤブシロシンニョと呼ぶ人も)。


▲トゥールバカ


ウブシロシンニョに関して伝わっている話は、
体が大きくスネが長い人、
沖縄からの流人、位の高い人などなど。

いつの時代の人か、
集落でどんな存在だったかは、はっきりと分からないそう。

油井の豊年踊りの日には、
ウブシロシンニョにも力飯、お酒、花などを供えています。

昔は、運動会や4集落対抗(阿鉄・小名瀬・久根津・油井)の行事の時には
「ウブシロシンニョに力をもらいに行く」と言って、
線香を立て必勝祈願をしていました。




ミャーには、新しく建てられた「アシャゲ」があります。


▲アシャゲとトネヤ跡

こちらは、近年、県道沿いの油井公園を整備した時に
一緒に鹿児島県が建てたものですが、
昔のアシャゲも同じ位置にあったそうです。

そばの石垣がある敷地は「トネヤ」の跡地。
集落の方は、「カミヤシキ」とも呼んでいました。

このカミヤシキの横を通って「カミミチ」が存在。
イビガナシの裏手、
川沿いを伝って油井岳付近の聖域「オボツ」へとつながっています。



▲カミヤシキ沿いのカミミチ



▲カミヤシキ沿いのカミミチ


アシャゲの横、
アコウやガジュマルなどの大木にかかっている銅鐘。

こちらは昭和2年昭和天皇行幸記念に造られたもの。
以前は、集落の中央・ハトンサキにあり、
時を告げる鐘として活躍していました。


▲戦争での没収を免れた貴重な鐘




須佐礼にもミャーがあり、
八月踊りは厄払いの意味もあるので、
油井と須佐礼の両方のミャーで踊られます。

須佐礼のミャーは、この東屋の前あたり。


▲このミニチュア水車は、大工である重田芳文さんが製作



油井集落には、昔から神社がないとのこと。

クガツクンチ(旧暦9月9日)には、
一族それぞれの守り神である「グンギン」へ行って
一年の運気や健康を祈願します。

「瀬戸内町誌 民俗編」には、
「油井には権現様が四カ所ある」と記載されていますが、
今回お話をうかがった中には、
「7つのグンギンがあると聞いている」との話も出てきました。


内田さんと池田さんに案内していただき、
この調査で5つのグンギンを確認。


1つ目が「ガモウグンギン」。
集落のほとんどの人がお参りするグンギンです。


▲ガモウグンギン。「ガモウジンジャ」と呼ぶかたも


ガモウグンギンは、油井トンネルの近く
山の上にありましたが土砂崩れのため、
現在は油井小中学校体育館横に安置されています。


▲崩れた部分にガモウグンギンがあった


ここでかつては「ティヤ」と呼ばれる祭りが行なわれていました。
登り口には提灯などをぶら下げ、
前の晩から太鼓を叩いたりして
一日過ごしていたそうです。

*

2つ目「ハトンサキグンギン」。

須佐礼と油井の間にある
ハトンサキ(岬)の山中腹にあるグンギン。


▲ハトンサキグンギン

*

3つ目、須佐礼入り口のグンギン。

久根津への旧道麓にあり、
S家、I家、T家が祀っています。
呼び名は不明とのこと。


▲須佐礼入り口グンギン


*

4つ目は、内田家のグンギン。

内田区長の一族が祀っており、
本家の敷地内にあります。
呼び名は不明とのこと。


▲内田家のグンギン


*

5つ目は、須佐礼農道近くのグンギン。
呼び名は不明。
池田三治さん一軒のみが祀っています。

クガツクンチ(旧暦9月9日)には、
草をはらい、ミキ、線香を供え、
砂も入れ替え。

都会に出ている家族の健康を祈ったり、
海の大漁を願います。

昔はシュク(生米をつぶしたもの)を供え、
ギターを持ってきて歌ったりと
にぎやかに過ごしていた時代もあるそうです。


▲須佐礼農道近くのグンギン




油井集落の聖域となるカミヤマは、
「オボツ」と呼ばれています。

神聖な場所として崇められているので、
滅多なことでは集落の人々も行かないそう。

昔から、
「オボツに行ったら無駄口を慎み、
木を伐ったり、みだらなことをしてはいけない」と伝えられています。



▲須佐礼川沿いから油井岳を見る。正面あたりが「オボツ」


実際にオボツに行ったことのある池田さん、
「2〜3mもの高い石や岩の塊が重なっていて、あたりは原生林。
その神聖な雰囲気に鳥肌立ち、身震いがした」とおっしゃってました。


宇検村の湯湾岳と、油井岳は、
「ヰヒリ・ヲナリ(兄・妹)神」の関係と云われています。

重田さんのおじさんは、
戦争へ行く前に湯湾岳へ武運長久の「願立て」をし、
無事に帰還すると、油井岳へ「願戻し」に行ったそうです。


 * *

油井には、真珠養殖会社があったことがよく知られていますが、
他にもいくつかの会社があった時代も。

須佐礼の脇田(ワキタ)にある
「イジュン(湧き水)」。

昭和30年代前半に、神戸から来たバナナ会社が造ったもの。


▲以前は屋根もあった泉


イジュンのそばには、
トウデヘ(唐竹)が数本残っています。
この竹は、バナナ会社が
バナナを入れるための竹籠用に植えた竹。



このバナナ会社は、台湾バナナを栽培していましたが、
台風の被害に何度か遭い、撤退。
その後、パイナップル会社が来たことも。

他にも
カツオ船のエサとなるキビナゴを獲る会社などもありました。


 * *

須佐礼の竹ノ作(デヘンサク)には、
大きな岩が多く、
しかも赤い岩が連なっています。

これらにまつわる話が、須佐礼の美人伝説。

昔、須佐礼に美人(名前は不明)がいて、
東と西の役人が彼女を取り合いになったところ、
彼女は死んでしまったそう。

その彼女の血で岩が赤く染まってしまい、
以来、須佐礼には美人が生まれなくなったとか‥。

須佐礼の女性にお会いしてないので、
その真相は分かりませんが、
島には美人が不幸になるお話、多いですね。



▲岩が確かに赤い。「昔はもっと赤かった」と内田さん・池田さん



ほかに、集落に伝わる昔話に、
油井小島をかけた舟漕ぎ競争の話があります。

昔、集落の海上に浮かぶ小島が、
どちらの集落のものかを決めるため、
久根津集落と油井集落で舟漕ぎ競争を決行。

晴れて油井集落が勝利し、
小島は「油井小島」と命名されることに。

その油井の勝因として集落に伝わる話が、
舟を漕ぐユホ(櫂)を、
油井は強く固いハーモモ(モッコク)の木を使い、
久根津は軽くてすぐ折れてしまうアサグロ(フカノキ)を使ったからという理由。



▲ハーモモの木。建築材として最良だとか

この油井の勝因、
以前、久根津で聞いた話とは違う内容だったので、
とても驚きました。

その立場によって話が変わって、
とても面白いです。
聞き取り調査には、
さまざまな角度からの検証が必要ですね。


▲アサグロの木。柔らかく芯に穴が空いている




集落には「油井小中学校」があり、
子供達は、さまざまな行事に参加しています。

油井小中学校は、小学校10名・中学校6名(平成26年4月現在)が在籍。
校区には、入学前の小さな子供も多く、
活気があります。


▲油井小中学校


学校入り口には、
集落全体の案内板が。
聖地や地名などがとても分かりやすくなっています。


 *

集落には2畝ほどの田んぼがあり、
子供達も一緒に、
集落全体で稲作を続けています。


内田区長おっしゃってた
「稲作があってこその、油井の豊年踊り」
との言葉がとても印象的でした。

収穫の恵みに感謝して
この田んぼで穫れた餅米で赤飯を炊き、
稲で綱をかき(作り)、
祭りを支えています。

油井小中学校の子供達は、
種もみまきから、田植え、
脱穀なども昔ながらの道具を使い、
一年間通して稲作にまつわるさまざまなことを体験。

準備段階から
昔のやり方を守っている大人の姿を見て、
伝統が受け継がれているのです。


▲須佐礼にある田んぼ

 
集落の人々が守り続ける
稲作があるからこその民俗芸能「油井の豊年踊り」。

この民俗芸能を伝えていくことで、
集落の人々はより結びつきが強くなり
油井集落が守られています。

素朴で力強い魅力にあふれた
「まつり」の本来の姿に触れることができる
集落の宝であり、瀬戸内町の宝です。



▲公民館にあった八月踊り唄の歌詞。これを見て子供達も一緒に練習


油井集落には、
聖地など人々が昔から大切にしてきた場所も多く残り、
瀬戸内町の「シマ(集落)の成り立ち」を知るには
とても勉強になる空間。

旧暦8月15日の「油井の豊年踊り」とともに
ぜひ一度訪れてほしい集落です。

 *

調査にご協力くださった内田区長、
池田さん、重田さん、岡野さん、長田さん、
そして油井集落の方々、
ありがとうございました。




<参考文献>
・「瀬戸内町誌 民俗編」
・「瀬戸内町の文化財を訪ねて」瀬戸内町教育委員会
・「瀬戸内町文化財保護審議会平成9年度現地調査 旧古仁屋町油井」



調査日 : 2014年3月13日(木)、14 日(金)
奄美.asia 調査員 Y.K




  


Posted by 水野康次郎 at 10:35Comments(0)瀬戸内町の集落