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2013年12月05日

嘉鉄 シマ(集落)めぐり

瀬戸内町で
シマ(集落)をめぐっての聞き取り調査。

10月9日(水)・18日(金)、
嘉鉄(かてつ)集落へ行ってきました。

シマの呼び方では、「カティッティ」。

▲県道626号沿い嘉鉄~蘇刈にある展望所、「ハートが見える風景」から望む嘉鉄集落


嘉鉄は、
瀬戸内町で東方(ひがしかた)と呼ばれるエリアにあります。


瀬戸内町の中心部、
古仁屋市街地から県道626号線を
ホノホシ海岸・ヤドリ浜方面へ車で約10分。



▲マネン崎展望台


ダイビングスポットとしても人気の嘉鉄湾が目の前にあり、
「マネン崎展望台」、「ハートが見える風景」と
周辺に展望スポットが整備された風光明媚なところ。



▲マネン崎展望台の目の前には大島海峡が広がる。
対岸右手は加計呂麻島、左手は奄美大島本島の最南端・皆津崎



嘉鉄集落の人口は222人、
世帯数は116(平成25年11月末現在)。


嘉鉄小学校もあり、Iターン者も多く、
行事が盛んで活気のある集落。

十五夜豊年祭・敬老会で披露される「ソーラ釣り」は、
大きなサワラ釣りの様子をユニークに表現する寸劇で
嘉鉄の名物となっています。



▲案内看板によると、となり集落の清水へ2.2km、蘇刈へは3.7km、伊須へ4.3km


 * 


今回は、

・ Sさん(男性、昭和5年生まれ)と、
・ Kさん(女性、昭和11年生まれ)にお話をうかがいました。


おふたりには、

・ 山や川、泉など地名の方言名
・ 製糖小屋、塩炊き小屋、鍛冶屋の場所など
・ かつて集落を囲んでいた川の整備、周辺の様子
・ 集落を守る権現、2回の移動などにまつわること
・ 戦争中の話。整備された道や防空壕、思い出

などについて教えていただきました。


Sさんは、昭和5年生まれ。
嘉鉄生まれ・育ちで、ずっと住んでいらっしゃいます。
大工として、シマの家をかなりの数作ったそう。


嘉鉄だけでなく、
奄美の歴史と文化を調べるのがライフワーク。

奄美関連の蔵書もたくさん。
さまざまなことに非常に詳しく、
80歳を超えているのに、その記憶力の良さに驚きです。


それもそのはず、
Sさんは、17歳の時から日記をつけていらっしゃるそう。

こういった記録は、
今後さらに貴重になるでしょうね。


▲聞き取りの様子


Sさんは「嘉鉄の年中行事」という冊子を作り、
次世代のためにと青壮年団に渡しています。

ただ簡潔にするためにまだ省いている部分も多く、
嘉鉄集落の歴史をもっときちんと残しておきたいとのことで、
補完したものをさらに作りたいと意欲的でした。


 * *

嘉鉄には、かつて集落の中に治水のための川が作られていたそう。

約190年ぐらい前までは土地と海の高さの差がなかったために、
満潮や大潮の時に集落のずっと上まで潮があがってしまい、
田んぼもみんな枯れてしまっていました。

その時は、集落の中の田んぼで魚が獲れて喜ばれたりも(笑)したそうですが、
たびたび集落一面が水浸しになるのは大変なことですよね。

集落の中を巡るように約10年かけて川を作り、
今の小学校の体育館あたりには、
竹で「カラミ」という柵のようなものを作って水を堰き止める場所があったり、
板付け舟の舟着場などもあったそうです。


 * * *

Sさんに教えていただいた、嘉鉄の里(サト)にある一画。
嘉鉄に最初に人が住み始めたあたりで、鍛冶屋もあった所。

▲ ここにかつて大きな木があり、海から漁師が目印として利用。近くには、製糖小屋もあり


正面に見える山は、「ガラス山」。
その周辺の山も、「トウザラシ」「アサト」「グスクダヤマ」などの呼び方が。






簡易水道ができる以前は、住民の重要な水源だった泉。

こちらは「ヤンゴ」。小学校から東側住民の水汲み場。
嘉鉄出身で、大正時代に瀬戸内町長を務めた加 勇四郎氏の碑も。



山のほうにある水汲み場「グスクダ」は、
小学校から西側の住民の水汲み場でした。



近年続けて起こった豪雨災害の時は、
断水が続き、この2つの水汲み場をみなさん利用したとか。
自然の恵みがあるというのは、たいへんありがたいことですね。


 * * * *


もうお一人お話をうかがったのは、
女性のKさん、昭和11年生まれ。

Kさん曰く、嘉鉄が川に囲まれていた時代、
「その頃の集落は、とっても風情があった」そう。

最初にお話をうかがったS氏からもあった
治水のために作られていた川。

Kさんから教えていただいたのは、その川回りで生活する人々の豊かな風景。
子供たちは学校帰りに川で遊び、
ウナギやフナ、ヌマエビの子供「セエ」もよく獲れたとか。
食べ方は、もっぱら塩ゆで。

当時は油が貴重なもの。
「もうザルいっぱいに獲れてた。
あの頃、エビを天ぷらにできてたらさぞかし美味しかっただろうね~」と。


集落の中を通るこの道沿いに、かつて川がありました。

▲川があった頃、このあたりに「カラミ」と呼ばれる竹で作った堰のようなものや舟着場もあった



また嘉鉄の集落東側の岬は「ビンディン」と呼ばれ、
手前には「マンガンジ」という岩があります。

その2つの岩で、
”マンキュン(招く)”の踊りをする、
龍郷町の「平瀬マンカイ」(国指定重要無形民俗文化財)と似た行事があったと聞いているそうです。


またKさんは、ひいおばあちゃんから
「山津波(土砂崩れ)が起きるから、ガラスヤマの木を切らないように」と言われていたそう。

戦時中には、山の中に「サンダンゴウ」と呼ばれる
防空壕が作られていました。
アメリカが上陸してきたら
最終的に避難する場所に掘られたのでは?とのこと。

ある日、雷を艦砲射撃と間違えてシマの人は避難。
Kさんもひと晩そこに泊まり、
その夜明けのアカヒゲなど鳥の鳴き声が忘れられないとおっしゃってました。


 * * * * *

そのほか、聞き取り調査をした後には、
集落内を実際に歩いていろいろと確認していきました。


権現山。嘉鉄には、「カミヤマ」と呼ばれる場所はないそう。
最初あった場所から、昭和39年、平成23年と2回の移動をへてこの場所に。



嘉鉄の権現さま。平成23年に建立されたのでまだぴかぴか。
戦争で亡くなられたかたの慰霊碑もあります。



ここで旧暦9月9日に「権現(グンギン)祭り」をとり行います。

嘉鉄の守り神は、「島尊祖加那志」。
亡くなった祖先の霊は33年を過ぎると、海の遥か彼方から神となって
自分の生まれ育った集落に戻って集落を見守るといわれています。

由来など書いた碑があり、
シマを学ぶものとして、ありがたい資料です。


この権現さまと慰霊碑のところから集落を眺めるとこんな感じ。


さらに、前に進むと・・、こんな風景が広がります。
権現さまからは、集落を一望でき景色が素晴らしい。

”集落を見守ってくれている”感がありますね。

ですが、見晴らしがいいことで、
このあたりには戦時中、軍が見張り台を設置していたそうです・・。



瀬戸内町の営農支援センターもあり
パッションフルーツ栽培なども盛ん。



県道沿いに農作物の直売所もあり。



嘉鉄小学校。校区は、嘉鉄・蘇刈・伊須。
児童数は、18名(平成25年4月8日現在。鹿児島県教育委員会資料より)。
ドラマや映画のロケに使用されることもたびたびで
最近ではNHKの土曜ドラマ「ジャッジ」にも登場。児童も出演しています。


嘉鉄小学校にも、以前は奉安殿があったそう。

小学校の東側の敷地は、かつては集落で最も古い墓地があり、
校庭の真ん中をミャー(広場)として使用。
土俵もあり、八月踊りや豊年祭を行っていました。


嘉鉄小学校の体育館。



嘉鉄公民館。保育所としても利用されています。



公民館と体育館の間にある、現在の土俵とミャー(広場)。
豊年祭は現在ここで開催。目の前には青い海が広がります。




嘉鉄には商店が2つ。

▲「勝商店」



▲「重満商店」


勝商店そばのT字路にある魔除けの石敢當。



県道沿いにある石敢當。こちらは自然石を利用。




崩れたあたりは、自然の洞窟「チキアム」と呼ばれ風葬跡ではないかと伝えられています。
戦時中、防空壕としても利用されていました。



ガジュマルの木陰ができ、雰囲気のいい嘉鉄の海岸。
旧暦行事「ハマオレ」は嘉鉄内の5班に分かれて、
浜の木陰でゲームなどをして楽しみます。



やはり集落に小学校があると、にぎやかさが違いますね。



県道沿いから美しい嘉鉄ブルーが堪能できる嘉鉄湾。
とくに真夏の青のグラデーションは素晴らしいのひと言です。



嘉鉄は、古仁屋からも近いながら、
サンゴの石垣も残り、海岸のあたりや家並みなども美しく、
シマの雰囲気を味わえる集落。
ゆっくりと散策して楽しめます。


今回も貴重なお話をうかがうことができました。
近くに住んでいても、
知らないことがいっぱいあり驚きばかり。

Sさんと、Kさん。
ほんの少し世代が違ったり、過ごしてきた環境が違うと
シマに対する思い出や印象、語られるお話も違ってきます。

さまざまなアングルから集落を知ることは、重要であり、
どれもそのシマを表しているのだと思います。

調査にご協力いただいた嘉鉄集落のみなさま、
ありがとうございました。








調査日 : 2013年 10月9日(水)・18日(金)
調査場所 : 奄美大島 瀬戸内町 嘉鉄集落 ( 鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉鉄 ) 


奄美.asia 調査員 Y・K



  


Posted by 水野康次郎 at 09:56Comments(0)瀬戸内町の集落