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2014年03月12日

阿木名 シマ(集落)めぐり

瀬戸内町のシマ(集落)をめぐる聞き取り調査。

阿木名(あぎな)集落の報告です。

シマグチでの呼び方は、アクィニャ


奄美市名瀬から国道58号線で瀬戸内町へ来ると、
網野子峠を過ぎて、
勝浦集落の次に出会う集落。

古仁屋に抜ける地蔵トンネル直前です。

阿木名 シマ(集落)めぐり
▲伊須方面より阿木名集落を望む。


町内では山郷(やまぐん)と呼ばれるエリアで、
背後には油井岳(標高483m)や高知山(標高411m)がそびえています。

瀬戸内町で最長の阿木名川(全長5.5km)を有し、
古仁屋市街地へ水を供給している
大事な水源地がある集落。

 
 *
 

阿木名全体の人口は、664人、世帯数は351戸
(瀬戸内町役場町民課平成26年2月末資料より)

瀬戸内町の中心部・古仁屋以外の集落では、
人口が一番多く、
広いエリアなので、
東と西に分かれおふたりの区長さんがいらっしゃいます。

ちなみに
阿木名東 人口327人、世帯数151戸、
阿木名西 人口337人、世帯数200戸




今回も、元気な阿木名の女性たちが集まるところにうかがいました。

月1回、15日に開催している
自主グループ「お楽しみ会」。

15名ほどのメンバーが集まり、
おしゃべりしたり、歌ったりしています。

阿木名 シマ(集落)めぐり
▲「お楽しみ会」の中でご主人がいらっしゃるのは2名だけ・・。
女性の長生きのパワーは、おしゃべりかもしれませんね。



発起人は、最高齢でもあるHさん。
なんと大正10年生まれの92歳!

Hさんご自身が80代なかばを過ぎて衰えを感じ、
昔を語ったり、歌ったりして認知症予防をしようと発足。
活動は丸5年経ちました。

メンバーは大正10年から昭和10年生まれ、
80代を中心に大先輩ばかり。

みなさん「この日が楽しみで仕方ない」とおっしゃってました。

歌は、シマ唄、新民謡、演歌など幅広く。
「十九の春」の替え歌「老後の春」の歌詞は最高!




阿木名 シマ(集落)めぐり
▲右から2番めが、発起人のHさん


途中、シマ唄では、阿木名西区長の寺師(てらし)さんが三味線を。

寺師さんは、阿木名生まれで小学校を卒業後、
一家で大阪へ。

シマの風景がどうしても忘れられず、
60歳の定年後、阿木名へUターン。

バリバリの関西弁ですが、
三味線やシマ唄、社交ダンスなど多趣味に活動しています。
阿木名 シマ(集落)めぐり


「お楽しみ会」のみなさんに伺ったのは

・ 地名、川の名前、橋の名前の由来
・ 水力発電所があった時代の話
・ 芋とソテツで作る自家製焼酎
・ 豆腐を作る人が7人ぐらいいて、販売していた時代
・ フヨウの繊維で作る紐

などなど。


 *

特に印象深かったのは、
フヨウの繊維で作る紐」です。

カメ(壺)に焼酎や味噌などを保存していた時代、
芭蕉の葉っぱで蓋をしていました。

葉っぱをかぶせて、口を結ぶ紐として使っていたのが
サキシマフヨウの幹の繊維で作った紐。

阿木名では、サキシマフヨウのことを「カシギ」と呼んでいます。

繊維の取り方は
フヨウの幹の皮を剥がし、
川に大きな石で押さえて
流れないようにさらして浸けておきます。

一週間ぐらい経って柔らかくなったところを
揉んだり叩いたりすると皮が取れ、
残るのが、真っ白い繊維。

その繊維をきれいに束ねて、
いろいろなものを結ぶためにとっておいたそうです。

フヨウの繊維は、
白っぽくて、光沢があって上品。

ワラよりも強く、牛馬の手綱や、
ティル(背負籠)を肩や頭にかける紐としても利用。

柔らかいから、痛くなくて
みんな好んでフヨウの紐を使っていたそうです。

ちなみに鹿児島県の甑島では、
「ピーダナシ」と呼ばれる、
フヨウの繊維で織った着物があり、
鹿児島県指定伝統的工芸品に指定されています。

阿木名では着物は織っていなかったようですが、
着物を織ったら、とってもぴかぴか光沢があって、
いい着物ができただろうねー
」。

とても白くて素敵な繊維だったようですよ。

阿木名 シマ(集落)めぐり
 
また阿木名では、豆腐屋さんも多かったとのこと。

名前が上がっただけでも7人。
お店をやっていた年代はバラバラだったり、
同時期なことも。

最初の頃は、燃料は薪。
石臼で大豆を挽き、
ニガリは、集落にあった塩炊き小屋からもらったものを使用。

「お楽しみ会」のKさん(昭和6年生まれ)は
学校を卒業して結婚するまでに仕事がなかったので、
豆腐作りをしていました。

1回に20丁ほど製造。

「昔の豆腐は、真四角じゃなかった。
長くて大きくて、にがりがきいているから
今みたいにブヨンブヨンじゃなくて固かったよ」。

うーん、食べてみたい!

近所で出きたてほやほやの豆腐が買えたなんて
うらやましいですよね。


昭和45年ごろ、
集落で豆腐を製造する人はいなくなったようです。






フヨウから繊維を取ることや
豆腐作り。

阿木名名物として復活するといいですね。

今回も貴重なお話をうかがうことができました。
「お楽しみ会」のみなさま、
ありがとうございました!


 *

さて、お話をもとに、
集落をめぐっていきます。

この側溝は、川の名残。

目の前のお宅の生け垣にハイビスカスの花がいっぱい咲いており、
近所の人は、その葉っぱを利用して髪を洗っていたそう。

葉っぱをちぎって叩くと、
ぶくぶく泡が出て、どろどろになるので
それを頭につけてしばしマッサージ。

あとは川の水で流すだけ。
シャンプー・リンス兼用で、髪がツヤツヤさらさらになるそう。

「お楽しみ会」に集まってる世代の方々はみんなやっていたとのこと。
一度試してみたいですね。
阿木名 シマ(集落)めぐり



古仁屋から阿木名へ行く、旧道の地蔵峠頂上近くにあるお地蔵さん。
以前は、阿木名から旧道を上がったところにありました。
阿木名 シマ(集落)めぐり


地蔵トンネルの阿木名側入口近くに、
実は、ゴルフ打ちっ放し場があります。
阿木名 シマ(集落)めぐり


打ちっ放しゴルフ場の駐車場あたりから見た山々。
周囲には、せせらぎが聞こえます。
下あたりに流れている川は「タミディゴ・タミズゴ」と呼ばれています。
阿木名 シマ(集落)めぐり



散策途中でお話をうかがったNさん(男性・昭和18年生まれ)のお話では、
阿木名の人は、高知山(415m)のことを「タミズバラ」、
油井岳(483.6m)のこと「コウチヤマ」と呼んでいたとのこと。
これにはびっくり!

確かに集落から見れば(もちろん標高自体も)油井岳が高いので
「高い山=コウチヤマ」という呼び方になってしかりだと思います。

どこに主観をおいて見るかによって、
地名も変わってくる、いい事例ですね。


  *

阿木名と勝浦の境界が写真中央付近「鏡瀬」。
山は「ゴンゲンヤマ」。
かつては鳥居や祀られたものがあり、出征時には必ず祈願していた場所。
阿木名 シマ(集落)めぐり
この山には、阿木名と勝浦の昔話が。

ゴンゲンヤマには、勝浦の豪傑フウティブリが陣取り、
阿木名の豪傑ナガスネは、現在の阿木名公民館裏手の山に陣取って、
弓矢合戦をしたと伝わっています。



伊須との境界、「芝」の海岸。
阿木名 シマ(集落)めぐり
昭和53年生まれの調査員Aは、阿木名小学校6年生の時まで
この海岸で水泳の授業を行っていたとのこと。
その後、諸事情で阿木名中学校からは、
勝浦の海岸へと変更されました。


重野安繹(しげの・やすつぐ)流謫の地。
阿木名 シマ(集落)めぐり
1857年に阿木名に遠島された薩摩藩の上級武士で、
約6年ほど阿木名に滞在。

重野は、この地に寺子屋を開き、
優秀な人材を輩出。
阿木名は学者村として知られました。

また龍郷に謫居していた西郷隆盛を訪れ、
交流を深めていたことも。
のちに東京帝国大学教授となり、日本初の文学博士となりました。



阿木名公民館。
阿木名 シマ(集落)めぐり
土俵の後ろあたりには、最近まで児童館がありました。
昭和41年に建設され、
図書室、卓球台、遊具なども揃い、
子供か年配のかたまで利用できる施設だったそう。



阿木名公民館の背後にある山は、「ムンニュクシ(森の後ろ)」。
カミヤマであったという話も。
阿木名 シマ(集落)めぐり
ここに阿木名の豪傑ナガスネが陣取り、
鏡瀬近くのゴンゲンヤマに陣取っていた勝浦の豪傑フウティブリと弓合戦。

また清水出身の役人「清 当済(キヨシ・トウスミ)が弓の稽古をしていたので
「ケイコバ」とも呼ばれていました。



農産物直売所「ふれあい市」。現在は、約15名のかたが出荷。
阿木名 シマ(集落)めぐり
新鮮な野菜だけでなく、墓参り用の花や、
季節ごとの飾り物なども並びます。
朝7~12時営業。お盆と正月が休み。


この日は、こぶりのパイナップルが並んでいました。値段も安い!
阿木名 シマ(集落)めぐり



集落内にあった魔除け石「石敢當」。このひとつだけしか確認できず。
比較的新しいものですね。
阿木名 シマ(集落)めぐり





共同葬祭場。
阿木名 シマ(集落)めぐり
ここにはかつて「カイバ」と呼ばれる集会場があり、
公民館的な役割を果たしていました。

十五夜豊年祭などは、
ここに2階建ての木造のヤグラを組み、
観客席や屋根まで作っていたそう。

みんなでごちそうを持ち寄り、一重一瓶。

酒を酌み交わしを、
大変なにぎわいを見せていたそうです。

カイバが古くなり、
現在の公民館の敷地に、
児童館が建設されました。




海岸沿いにある墓地。
阿木名 シマ(集落)めぐり
公民館裏手の山からここを通ってグンギンヤマまで、カミミチがあったといわれます。
墓地は、確認した範囲では、古いもので「宝暦十三(1763)年」、
「明和三(1766)年」などが確認できました。



阿木名川。
阿木名 シマ(集落)めぐり
昔の呼び名は「フーコ(大川)」 。
左からは古仁屋又川からの合流部分。



国道58号線、阿木名川にかかる「尻田橋」。
阿木名 シマ(集落)めぐり
Nさん(昭和18年生まれ)の記憶では、現在で3つ目の橋。
一番最初この道は軍道で、橋も木造だったそう。
橋の場所も海側から徐々に現在の位置に移動してきました。



「あいかん橋」。名前の由来は、「愛」と「汗」から。
阿木名 シマ(集落)めぐり
昭和12、13年頃に、古仁屋小学校に務める阿木名在住の先生が元となり、
当時ばらばらだった若い男女をまとめ、
世の中のためになってほしいと「シュウヨウダン」を結成。


当時は、丸太ん棒の橋で危なかっただめ、
集落の山から木を伐り出し、
「シュウヨウダン」のみんなで橋を作りました。

自分たちの「愛」情と、
流した「汗」から名前をとって、「あいかん橋」と命名。



国道沿いの元「八宝亭」あたりに、製糖工場がありました。
阿木名 シマ(集落)めぐり
阿木名に4つあった工場のうち、「一番最後、昭和49年頃まで残っていたのでは?」
とNさん(昭和18年生まれ)。



明治13(1880)年創立、「阿木名小中学校」正門。
阿木名 シマ(集落)めぐり
小学校54名、中学校34名(鹿児島県教育委員会資料、平成25年4月8日現在)。




阿木名小中学校の校庭下は、旧道の名残りが。
阿木名 シマ(集落)めぐり
植栽部分は旧道で、
擁壁のすぐ下は、旧道の歩道だった部分。



国道沿いの阿木名の埋立地。
水色の建物あたりには、塩炊き小屋がありました。
阿木名 シマ(集落)めぐり




勝浦集落との境にある「ワンディ・ワレデ(割れ瀬)」。
阿木名 シマ(集落)めぐり
元は3倍ぐらいの大きさだったのが、
今は3つに割れたと伝えられています。



阿木名川上流付近の道沿いで、
アマミノクロウサギの糞を発見!
阿木名 シマ(集落)めぐり



阿木名のダム。
阿木名 シマ(集落)めぐり
現在は、古仁屋市街地への水を供給している重要な水源地。

大正12年から水力発電所として使用開始され、電気を供給。
途中長い間運転が中止されていましたが、一時復活。
昭和34年に廃止されました。


  *


また、「お楽しみ会」をお世話していた
T(女性・昭和17年生まれ)さんのお宅で
貴重なものを見せていただきました。
阿木名 シマ(集落)めぐり

Tさんの義理のお父さん(大正2年生まれ)が、
書き留めていたノート。

戦死なさったため、
出征前の昭和14~15年頃までのものではないかとのこと。

さまざまなことがメモされていましたが、
このなかに
阿木名に伝わる相撲甚句の歌詞も書いてありました。

相撲甚句は、阿木名十五夜豊年祭の伝統的出し物。

義理のお父さんから、ご主人、
現在の十五夜では息子さんへと相撲甚句は引き継がれています。

青年団も分からなくなると、
このノートを見にくることがあるそうです。

ふだんは、厳重に保管。



相撲甚句のページ。
阿木名 シマ(集落)めぐり
義理のお父さんが発電所で働く人から教えてもらったのではとのこと。

歌詞の最後には、
「相撲甚句 昭和拾壱年 五月拾八日 記す」

と、Tさんの義理のお父さんのお名前が書かれていました。

また発電所で働く別の数名も
内地から来た方に相撲甚句を教えてもらったようです。


阿木名に伝わる相撲甚句。
どこから伝わったのか、
そのルーツをめぐるのもロマンがありますね。


  *

今回集落をめぐって、
阿木名は、本当に川とともに
生活してきたんだなと感じました。

水力発電所や
フヨウから繊維を取ったり、
豆腐を作る人がたくさんいたり。

阿木名 シマ(集落)めぐり


川の水量が豊富で
水がきれいな阿木名ならではの暮らしぶり。
さすが瀬戸内町最長の川を有する集落です。


その土地ならではの生活が
それぞれのシマにあるだなと強く感じた調査でした。

阿木名集落のみなさん、
ご協力ありがとうございました!







<参考資料>
・「阿木名集落関連史」 阿木名集落関連史編集委員会
・「阿木名校区誌」 阿木名小学校
・「瀬戸内町誌 民俗編」
・「平成10年度瀬戸内町文化財保護審議委員会現地調査」





調査日 : 2013年12月15日 (日)  
調査集落 : 奄美大島 瀬戸内町 阿木名 (鹿児島県大島郡瀬戸内町阿木名)


奄美.asia 調査員 Y.K













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Posted by 水野康次郎 at 14:30│Comments(0)瀬戸内町の集落
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